東京地方裁判所八王子支部 平成2年(ワ)142号 判決 1996年2月19日
主文
一 被告緑生会は、原告まさ子に対し、金六六〇万円及びこれに対する昭和六三年七月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告緑生会は、原告治に対し、金三三〇万円及びこれに対する昭和六三年七月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告水口美喜子は、原告まさ子に対し、金三三〇万円及びこれに対する昭和六三年七月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被告水口美喜子は、原告治に対し、金一六五万円及びこれに対する昭和六三年七月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
五 被告水口弘司、同吉田朝子、同中神惠子、同水口剛雄は、原告まさ子に対し、各自金八二万五〇〇〇万円及びこれに対する昭和六三年七月二一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
六 被告水口弘司、同吉田朝子、同中神惠子、同水口剛雄は、原告治に対し、各自金四一万二五〇〇円及びこれに対する昭和六三年七月二一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
七 原告らの被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。
八 訴訟費用は、これを五分して、その三を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。
九 この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
理由
第一 当事者等
一 請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二 《証拠略》によれば、水口病院の診療体制について、以下の事実が認められる。
本件当時、水口病院には、院長水口清司、劉医師、高比良医師の三名の常勤医がおり、水口清司は、老齢のため、出勤することは少なく、劉医師、高比良医師が中心になって診療していた。助産婦は、伊藤、内田、鈴木各助産婦を含む五、六名であり、看護婦は六、七名であって、その他、日曜日、夜間当直の非常勤医がいた。
分娩監視装置(陣痛と胎児心拍数を測定してグラフ化する装置)は当時水口病院には三台あり、その他、トラウベ、ドップラー(いずれも胎児心拍数を計測する器具)があった。
分娩監視装置の装着は、入院時の最初の一回は必ず行っていたが、その後は、主に助産婦の裁量によってなされており、分娩監視記録に異常があれば、その都度、医師に報告していた。
第二 経過、死因等
一 請求原因2(一)ないし(一〇)の事実は当事者間に争いがない。
二 経過
右一の事実、《証拠略》を総合すれば、1ないし11の事実が認められる。
1 原告まさ子は、昭和六二年一一月九日、水口病院において、劉医師の診察を受け、妊娠二か月、出産予定日が昭和六三年七月七日と診断され、以後も水口病院に通院して定期的に診察を受けた。
原告まさ子は、昭和三五年生まれで初診当時二七歳であり、出産歴はなかった。
2 原告まさ子は、昭和六三年六月九日、高比良医師の診察を受け、浮腫、尿蛋白があったことから、妊娠中毒症と診断され、翌一〇日から同月一七日まで水口病院に入院した。
入院日に分娩監視装置によるNST(ノンストレステスト。子宮収縮がないか、あっても非常に弱い状態下で胎児心拍数を計測する方法)を四〇分間行ったが、異常所見はみられなかった。その後度々、分娩監視装置、トラウベ、ドップラーを使用して、胎児心拍数の計測が行われたが、入院期間中、児心音に異常はみられなかった。
入院期間中の血圧は、概ね一〇〇/六〇から一三〇/八〇の範囲内にあった。尿蛋白は、六月一〇日++、同月一一日+、同月一二日+であり、浮腫は、六月 一〇日++、同月一一日+-、同月一二日+-、同月一五日+-、同月一六日+-、同月一七日+-であった。
退院後も、六月二三日、同月二八日、七月四日、同月一一日、同月一四日に通院して治療を受け、蛋白は、六月二八日+、七月四日+、同月一一日+、同月一四日+-、浮腫は六月二八日+であり、妊娠中毒症は完治していなかった。
体重は、妊娠前は五五、六キログラムだったが、妊娠中に肥満傾向が続き、七月には、七六キログラム前後になった。
3 七月一六日と同月二三日の診察の際、劉医師は、原告まさ子に、帝王切開になるかもしれないと説明し、原告まさ子が肥満しており、子宮頚管成熟不全であり、狭骨盤の疑いがあると診断した。
4 原告まさ子は、出産予定日の七月七日を過ぎたため、一八日午前一一時五分、再度水口病院に入院した。当日、分娩監視装置を装着し、NSTを三〇分間受け、子宮口にラミナリア(海草を乾燥させて作った棒状のもので子宮口開大のために用いられる)を八本、ガーゼ一枚を挿入した。子宮口は〇・五指大だった。陣痛はなかったが、児心音は良好だった。
5 一九日にはラミナリアを一五本を挿入した。子宮口は一・五指大だった。血圧は一一四/八二だった。
6 二〇日午前八時三〇分頃、原告まさ子は、陣痛室で、鈴木助産婦により陣痛誘発剤(五パーセントブドウ糖液にアトニン〇五単位を溶かした液)の点滴投与を受けた。
同日午前中に一時間、原告まさ子に対して分娩監視装置が装着された。
同日午後三時、劉医師が内診したが、その際、子宮口の開大度は一指半、展退度六〇パーセント、児頭は高い状態だった。
劉医師は、同日午後四時、点滴を中止した。同日午後五時、腹部痛が始まった。
児心音は毎分一四〇、血圧は一〇〇/五〇だった。
7 二一日午前〇時頃から原告まさ子の腹部の痛みが強くなってきた。
同日午前一時頃、四時頃に原告まさ子は、伊藤助産婦を呼んで、その都度伊藤助産婦の内診を受けたが、いずれもまだ子宮口の開大度は二指半であり、陣痛も約五分間隔だったことから、まだ分娩にまで至る状態ではなかった。
同日午前五時五〇分から同日午前六時三二分まで、伊藤助産婦は原告まさ子に分娩監視装置を装着した。
陣痛は、概ね四、五分間隔で起きており、児心拍数は、陣痛のない時には、概ね毎分一五〇から一六〇の範囲にあった。
陣痛直後に児心拍数が低下した部分は、以下の五箇所である。
(一) 午前五時五九分の陣痛の約一分後、児心拍数が低下し、毎分約一三五となった(以下「A時点」という)。
(二) 午前六時八分の陣痛の約一分後、児心拍数が低下し、毎分約一四五となった(以下「B時点」という)。
(三) 午前六時一三分の陣痛の約一分後、児心拍数が低下し、毎分約一四五となった(以下「C時点」という)。
(四) 午前六時一八分の陣痛の約二分後、児心拍数が低下し、毎分約一二二となった(以下「D時点」という)。
(五) 午前六時二四分の陣痛の約一分後、児心拍数が低下し、毎分約一三〇となった(以下「E時点」という)。
8 二一日午前八時、伊藤助産婦は分娩監視をしたことを電話で水口清司に報告し、ラミナリアを入れるように指示され、そのとおりにした。伊藤助産婦は、同日午前九時、内田助産婦に右分娩監視記録を含めて引き継ぎをした。
劉医師は、午前九時頃出勤し、午前一〇時頃、右記録を見た上で原告まさ子を内診したが、まだ子宮口開大度は二指半であった。午前一〇時四五分にも原告まさ子を内診したが、子宮口開大度は三指大であった。
助産婦は、午前七時から午後一時一〇分まで、約一時間毎に児心拍数をトラウベないしドップラーで測定した。使用中でない分娩監視装置もあったが、原告まさ子には使用しなかった。五秒毎の児心拍数は、概ね一二前後だった。陣痛は、同日午前八時までは、五分間隔、午前九時三〇分頃は四、五分間隔、午前一一時以降は三、四分間隔だった。
9 二一日午後一時から劉医師は昼食のため外出した。午後一時一〇分には、助産婦は、児心音があるのを認めた。
しかし、午後一時四〇分に内田助産婦が児心音を探したが、既に消失していた。その後、高比良医師が、次いで外出から戻った劉医師も、それぞれ児心音を探したが、やはり消失していた。
胎児は、午後一時一〇分から午後一時四〇分までの間に死亡したものである。
10 二一日午後四時頃、劉医師が原告まさ子に開腹手術を施し、午後四時四分、死亡した女の胎児が取り出された。胎盤後血腫は一五〇ないし二〇〇ミリリットル位であった。
11 その後、原告まさ子は、平成二年六月三〇日、男児を出産した。
12 以上の事実が認められ(る。)《証拠判断略》
三 死因
1 胎児の死亡原因が常位胎盤早期剥離であったことは当事者間に争いがなく、《証拠略》、鑑定の結果も併せ総合すると、死因は常位胎盤早期剥離による酸素欠乏であったこと、右常位胎盤早期剥離は、分娩監視装置を外した二一日午前六時三二分頃から児心音が消失しているのを認めた同日午後一時四〇分頃までの間に発生し、急激に発生したものではなく、徐々に発生したものであったことが認められる。
2 《証拠略》によれば、次のことが認められる。
(一) 常位胎盤早期剥離は、正常位置に付着している胎盤が妊娠中又は分娩経過中、胎児娩出以前に子宮壁より剥離する現象であり、基底脱落膜の出血に始まり、それにより形成された胎盤後血腫がこれに接する胎盤を更に剥離・圧迫して剥離が進行し、その結果胎児に供給さるべき酸素が不足して胎児仮死から胎児死亡を引き起こすというものである。常位胎盤早期剥離の五〇パーセントから七〇パーセントに妊娠中毒症が存在すると言われ重症の妊娠中毒症に起こりやすいとも言われるが、妊娠中毒症が重症になれば必ず常位胎盤早期剥離を起こすわけではなく軽症の妊娠中毒症に起こる場合もあるし、中毒症の症状の全く認められない例もみられる。
(二) なお、胎児仮死は、胎児の酸素供給が低下した状態をいい、異常妊娠や母体合併症を伴ったいわゆるハイリスク妊娠に好発し、分娩中にみられることが多い。
第三 劉医師の過失
一 妊娠中毒症について
1 前記第二の二で認定のとおり、原告まさ子は、軽度とはいえ妊娠中毒症にかかっており、退院後も完治したといえる状態ではなかった。また、原告まさ子の妊娠とともに肥満傾向が進んでいた。
2 そして、《証拠略》によれば、肥満女性は妊娠中毒症を起こしやすいこと、妊娠中毒症に罹患すると、胎盤、血液動態、眼底などに異常を来しやすくなることが認められる。
二 遅発一過性徐脈について
1 《証拠略》によれば、次のことが認められる。
胎児心拍数毎分一〇〇程度以下を高度徐脈、毎分一〇〇から一二〇程度までを軽度徐脈、毎分一二〇から一六〇程度までを正常脈と分類される。
一過性徐脈は、子宮の収縮に伴って発生する心拍数の一過性下降である。遅発一過性徐脈とは、子宮の収縮に従って徐脈が発生し、その回復が遅れる現象をいい、胎児仮死の前兆とされる。
遅発一過性徐脈の重篤度は、心拍数下降の程度により分類することができ、毎分一五未満の下降は軽度、毎分一五から四五までの下降が中等度、毎分四五を越える下降が高度とされる。
2 鑑定の結果によれば、昭和六三年七月二一日午前五時五〇分から同日午前六時三二分までの分娩監視記録中のA時点、B時点、C時点、E時点は、遅発一過性徐脈とはいえないが、D時点が軽度の遅発一過性徐脈であることが認められるところ、更に、甲第一九号証を検討すると、次のようにいうことができる。
A時点、B時点、C時点、E時点においては、児心拍数の下降が顕著とはいえず、下降と陣痛との間隔も顕著であるとはいえないから、これを見た医師ないし助産婦に何らかの異常を認めることを要求することはできない。
しかし、D時点においては、それまで概ね毎分一五〇ないし一六〇程度であった児心拍数が、毎分約一二二まで落ちている箇所があり、前後約二分強の児心拍数は、毎分一三五前後である。前記の遅発一過性徐脈の重篤度の分類に従えば、D時点は、最大時には毎分三〇ないし四〇の下降があり、その前後も、毎分一五ないし二五の下降があったのであるから、中等度の下降ということができる。
したがって、児心拍数については、最も下降した部分が毎分約一二二であっても、児心拍数の下降度に着目すれば、その遅発一過性徐脈は、軽視できるものではなかった。
三 分娩予定日超過(過期妊娠)について
1 前記認定のとおり、分娩予定日が、昭和六三年七月七日であったのに対し、分娩誘発剤を投与した同年七月二〇日において、分娩予定日を一三日超過していた。
2 《証拠略》によれば、最終月経の初日から計算して満四二週(二九四日)以上に及ぶもなお分娩に至らないものを過期妊娠といい、胎盤機能が老化して機能低下をみることがあり、胎児仮死、死産になることがあること、過期妊娠と診断された場合の処置は、分娩予定日が正しいか否かを検討し、四二週になったら分娩誘導をすべきものとされていること認められる。
四 右のとおり、妊娠中毒症、遅発一過性徐脈、分娩予定日超過のいずれも軽度のものであるが、右各事情を総合すれば、D時点の遅発一過性徐脈が、偶然起きたものであるとか、その後ほぼ確実に回復するという見通しが立つような客観的状況があったとはいえず、胎盤機能の低下が進行する可能性があったのだから、劉医師は、昭和六三年七月二一日午前五時五〇分から午前六時三二分までの分娩監視装置の結果を同日午前一〇時頃に見た時点で、更に、分娩監視装置の使用を自ら継続し、又は助産婦に指示して継続させ、胎児の状態を監視するべきであった。
即ち、前記のとおり、同日午前七時から午後一時四〇分までの間、約一時間毎にトラウベないしドップラーを使用して児心音を検査していたことが認められるが、分娩監視装置によらなければ十分胎児を監視することができないから、劉医師や助産婦のとった検査方法は不十分であったといわざるをえない。
したがって、劉医師の同日午前中の分娩監視に関する措置には過失がある。
第四 因果関係
鑑定の結果によれば、劉医師が分娩監視装置を装着可能であった二一日午前一〇時から児心音の消失を認めた同日午後一時四〇分までの間に胎児仮死を示す心拍数の何らかの異常所見を認めた可能性が極めて高く、その時点で帝王切開等適切な措置をとることが可能であったこと、本件において、重症胎児仮死が出現した場合の治療方法は、帝王切開術が最善であったことが認められるが、分娩監視記録が存在しないことから、手術可能時には、既に胎児の酸素欠乏状態が重篤になっていたかも知れず、帝王切開術を施していたとしても、必ずしも胎児を救命できたとは限らない。
しかし、《証拠略》によれば、軽症や中等度の常位胎盤早期剥離の場合の胎児の生存率は八〇パーセントを超え、重症であっても三〇パーセント程度の生存率であるという報告例があることが認められ、鑑定の結果によれば、本件における常位胎盤早期剥離は、母体の血液凝固障害などをきたさず、胎盤後血腫も約一五〇ミリリットルとそれほど多くないことから、常位胎盤早期剥離は比較的軽症であったと判断され、胎盤の剥離が開始してから比較的徐々に進行した可能性が高く、胎児仮死の症状が起きてから胎児死亡を来すまでに帝王切開術で救命するだけの時間的余裕があった可能性が高いことが認められるから、劉医師の過失と原告まさ子の死産との間の因果関係が存在することを認めることができる。
第五 被告緑生会、水口清司の責任
一 被告緑生会の使用者責任
前記のとおり、劉医師は、過失に基づいて原告らに損害を発生させ、因果関係も認めることができるから、不法行為の要件を充たしている。
そして、劉医師の原告まさ子に対する右不法行為が被告緑生会の職務の執行としてなされたことは本件全証拠より明らかであるから、被告緑生会は民法七一五条一項に基づき、使用者として、劉医師の右不法行為により原告らが被った損害を賠償する責任がある。
二 水口清司の代理監督者責任
水口清司が、本件当時、被告緑生会の理事(代表者)として水口病院に勤務し、劉医師、伊藤助産婦の職務を監督すべき立場にあり、現実にその監督をしていたことは、当事者間に争いがない。
したがって、水口清司は、民法七一五条二項に基づき、被告緑生会に代わってその事業を監督していた者として、劉医師の右不法行為により原告らが被った損害を賠償する責任がある。
第六 損害
一 慰謝料
1 原告ら固有の慰謝料について判断するに、本件は、出産直前の死亡であるから、父親、母親としての出産への期待が高まっている状態にあるものと考えられ、その精神的苦痛は、新生児が死亡した場合にも比肩しうるものである。また、妊婦である原告まさ子には、妊娠、分娩における苦労や苦痛があったことが通常であると考えられることに鑑みれば、その被った精神的苦痛は、父親の原告治のそれよりも大きいと考えることができる。
そして、前記認定の一切の事情を考慮すると、精神的苦痛に対する慰謝料の額は、原告まさ子につき金六〇〇万円、原告治につき金三〇〇万円が相当である。 2 原告は、劉医師が胎児の死亡後に施した開腹手術は危険性を伴うものであるから、慰謝料の増額要因となると主張する。
前記認定によれば、劉医師は、児心音が消失してから約二時間二〇分後に開腹手術を施したことが認められる。
確かに、鑑定の結果によれば、本件においては、胎児の死亡後にも、より母体に対する侵襲(出血傾向の増大、血液の凝固機能障害)の少ない経膣分娩が可能であったと推認される。しかし、実際には原告まさ子に障害は生じなかったのであり、《証拠略》によれば、劉医師は、原告まさ子が大量の弛緩出血を起こすおそれがあり、子宮を摘出しなければならなくなる場合もありうるから、子供のいない原告まさ子の将来の分娩を考慮して開腹手術を行ったことが認められるから、当時の劉医師の裁量が明らかに誤っていたということはできない。
したがって、この点に関する原告らの主張には理由がない。
二 逸失利益
胎児が死産により娩出した場合は、権利能力の主体となることができず、たとえ出産直前であっても、新生児が死亡した場合と同視することはできない。したがって、逸失利益の請求は失当である。
三 弁護士費用
原告らが弁護士間部俊明、同望月孝禮に本件訴訟の追行を委任したことは当裁判所に顕著であり、本件事案の複雑性、難易度等本件に現れた一切の事情を考慮すれば、弁護士費用額は、原告まさ子につき金六〇万円、原告治につき金三〇万円が相当である。
第七 以上によれば、被告緑生会と水口清司は、原告まさ子に対し各自損害金六六〇万円、原告治に対し各自損害金三三〇万円の支払義務を負ったものというべきである。
そして、水口清司が平成四年六月二八日死亡し、その妻である被告水口美喜子、その子である被告水口弘司、同吉田朝子、同中神惠子、同水口剛雄が相続により水口清司の義務を承継したことは当事者間に争いがないから、被告水口美喜子は原告まさ子に対し、金三三〇万円、原告治に対し金一六五万円、同水口弘司、同吉田朝子、同中神惠子、同水口剛雄は原告まさ子に対し各自金八二万五〇〇〇円、原告治に対し、各自金四一万二五〇〇円の支払義務がある。
そして、不法行為の日である昭和六三年七月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を付すること要する。
第八 よって、原告らの請求は、主文第一ないし第六項の限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村田達生 裁判官 八木貴美子 裁判官 酒井良介)